2012年03月11日
黙祷・・そして未来に向かって!
時計は、3.11あの時のまま止まっている。

義母形見の時計
落ちた衝撃
で止まったまま
M9の揺れは、震源地から数百キロ離れたビルを突き動かした。
工務店経営・耐震補強にも従事している拙者は、
たまたま耐震診断依頼者へ近況を説明する為、
大震災前、地震活動データを調べていた最中だった。
3.9 M7.3の地震に
「これは太平洋プレート型の典型的な地震、近いうち大きな地震があるかもしれない」
そんな矢先、全くタイミングよく、地鳴りただならぬ揺れに、危機を感じて外へ出た。
「自分が手掛けた物件達を最後まで守らなければ・・」カッコつけるようだが、真面目に使命感がそうさせた。
その後お客様、一軒一軒連絡を取ると嬉しいことに全く何もなかった。
皆様から「補強しててよかった。新築お願いしてよかった!」皆がそう言ってくれた。
拙者と言えば事務所の中はメチャクチャになり、ハードディスクは壊れ、社内データや耐震補強の施工事例が沢山消えた。
次々と明るみになる被害報道に、しばらく喪失感が続き、地位も名誉も金も、この世の何もかも役に立たない気がした。
でも自分がしてきたことに喜んでくれる人がいる。
何か少しは、この世の役に立つかもしれない。
何でもいい、自分が役に立つなら災害現場へ行ってみよう

気仙沼ボランティアセンター
組合からの要請もあり、自分の仕事は社員に任せ、第一陣で現場へ向かった。
ボランティアセンターと連携し、様々なニーズに役立つように出来る限り尽くした。

現状は、いきなり強烈に飛び込んでくる。
目に入るものが普通ではないので、平衡感覚から何やら狂います。

強烈な悪臭を放っていた
足元にもサンマ
現場は過酷さを極め、精神的疲労はかなりのダメージで思うように行動ができない。
現地では皆同じようなことを言っていた。

屋根にもサンマ
調査物件は容赦なく現実を叩き付ける。
ありえないことがいくつも起こっていた。
この先
想像を超える
惨状
力ずくで何かしようとしてもダメだ。
皆で良く考え協力することで、魔法のように処理が進んでいく。
依頼者宅へ
聞取調査
様々なニーズがある
迅速に行うのが
復興への近道
中には補強次第でまた住める住宅もある。
その判断が容易ではないのだが、
「この家は大丈夫です!」と伝えた時、
ものすごく喜んで、元気を取り戻すのが目に見えました。

主要な柱が流され
余震で危険
このままでは
ボランティアは
入れない
このような物件を、流れ着いた瓦礫の中から見合った材木を拾い出し、
柱や土台として利用
ゴミとなったハリも
足場として利用
緊急時は
あれだこれだといっていられない
現場では
とにかく手を動かすことが第一だ
火打ちや筋交い土台柱・・補強に使えるものはとにかく使う。
柱を土台に
そして仮柱で
倒壊を防ぐ
本格的に直すには、まず掃除しなければなりません。
仮補強も大事なニーズでした。
ひとまず安心
安全確保
ボランティアさん達が
掃除に入れます
この物件は、補強後すぐにボランティアが入り、翌日には大工さんが直していました。
驚くべき行動力が現地では発揮されます。それが復興への一歩です!
ここの主人は
安全とわかると
フルスピードで
掃除を始めた
元気を
取り戻したのである
ここのお宅は、何度も泥棒が来て何か持って行ったそうです。
意気消沈していたお母さんに何か気になる事ありますか?と尋ねた。
「....家は壊すようですか?」
大丈夫です!
「良かった!!」

「ん?!もしかして!」瓦礫を押しのけると、
通帳や現金が出てきた!お母さんに手渡すと、ものすごい喜んでくれた。
ここも翌日にはボランティアが入り、中もきれいになっていた!

命からがら逃げた方々
何も持っていないのです
当然お金も・・
行方知らずの募金より
生きた金が大事!
お母さん!
みんな応援してるから
頑張って!
また、最も多かったニーズが「床板ハガシ」
床下にたまったヘドロを掻き出すために、フロア板や根太をはがします。
この先は
中々素人には
出来ません
ボランティアさんが泥を掻き出しやすくするため、
住宅知識のある我々でハガシます。



この状態を各物件に作っていきます。

そして台風のごとく
ボランティアさん達が一生懸命に、あっという間にきれいにして行きます。
子供やお年寄りへ心のケアも行われていました。
タカラジェンヌの人たち
歌で励ましていました
地殻変動で陸地沈下、満潮時海になってしまう所も。

行く手に大きなフェリーも座礁
大島
滞在期間は正直ものすごく疲れましたが、数えきれないほどの経験と感動。
大島の
依頼者宅にて
津波に流されたお二人
助かって何よりです!
お孫さんの
アルバムを手に
全国から沢山の人たちが助け合っていた。
フェリーの中で学生達のボランティアも島へ向かっていた。

各地から様々な人たちが活動されていました。
カモメ達も海が怖くなったようで、人のいるボランティアセンター近くにいつもいました。
自然の生き物たちも寂しいのでしょうね。
鳥たちも
海から離れた所に
避難
被災地では鳥も人間も、何もかも皆が必死でした。
陸前高田
捜索隊
・・・
あれから一年。
目の前の惨状は、だいぶ消えて行きましたが、
この時代に生きる私達は、あの日の出来事は一生忘れないでしょう。
いざと言う時、行動力があれば、人間は簡単には死にません!

横綱と岬
松は大分
折れてしまったが
立派に立っていた
この横綱のように、毅然と海に立ち向かい、負けないのが日本人!
日本は復活すると信じています。
黙禱・・・

義母形見の時計
落ちた衝撃
で止まったまま
M9の揺れは、震源地から数百キロ離れたビルを突き動かした。
工務店経営・耐震補強にも従事している拙者は、
たまたま耐震診断依頼者へ近況を説明する為、
大震災前、地震活動データを調べていた最中だった。
3.9 M7.3の地震に
「これは太平洋プレート型の典型的な地震、近いうち大きな地震があるかもしれない」
そんな矢先、全くタイミングよく、地鳴りただならぬ揺れに、危機を感じて外へ出た。
「自分が手掛けた物件達を最後まで守らなければ・・」カッコつけるようだが、真面目に使命感がそうさせた。
その後お客様、一軒一軒連絡を取ると嬉しいことに全く何もなかった。
皆様から「補強しててよかった。新築お願いしてよかった!」皆がそう言ってくれた。
拙者と言えば事務所の中はメチャクチャになり、ハードディスクは壊れ、社内データや耐震補強の施工事例が沢山消えた。
次々と明るみになる被害報道に、しばらく喪失感が続き、地位も名誉も金も、この世の何もかも役に立たない気がした。
でも自分がしてきたことに喜んでくれる人がいる。
何か少しは、この世の役に立つかもしれない。
何でもいい、自分が役に立つなら災害現場へ行ってみよう

気仙沼ボランティアセンター
組合からの要請もあり、自分の仕事は社員に任せ、第一陣で現場へ向かった。
ボランティアセンターと連携し、様々なニーズに役立つように出来る限り尽くした。

現状は、いきなり強烈に飛び込んでくる。
目に入るものが普通ではないので、平衡感覚から何やら狂います。

強烈な悪臭を放っていた
足元にもサンマ
現場は過酷さを極め、精神的疲労はかなりのダメージで思うように行動ができない。
現地では皆同じようなことを言っていた。

屋根にもサンマ
調査物件は容赦なく現実を叩き付ける。
ありえないことがいくつも起こっていた。

想像を超える
惨状
力ずくで何かしようとしてもダメだ。
皆で良く考え協力することで、魔法のように処理が進んでいく。

聞取調査
様々なニーズがある
迅速に行うのが
復興への近道
中には補強次第でまた住める住宅もある。
その判断が容易ではないのだが、
「この家は大丈夫です!」と伝えた時、
ものすごく喜んで、元気を取り戻すのが目に見えました。

主要な柱が流され
余震で危険
このままでは
ボランティアは
入れない
このような物件を、流れ着いた瓦礫の中から見合った材木を拾い出し、
柱や土台として利用

足場として利用
緊急時は
あれだこれだといっていられない
現場では
とにかく手を動かすことが第一だ
火打ちや筋交い土台柱・・補強に使えるものはとにかく使う。

そして仮柱で
倒壊を防ぐ
本格的に直すには、まず掃除しなければなりません。
仮補強も大事なニーズでした。

安全確保
ボランティアさん達が
掃除に入れます
この物件は、補強後すぐにボランティアが入り、翌日には大工さんが直していました。
驚くべき行動力が現地では発揮されます。それが復興への一歩です!

安全とわかると
フルスピードで
掃除を始めた
元気を
取り戻したのである
ここのお宅は、何度も泥棒が来て何か持って行ったそうです。
意気消沈していたお母さんに何か気になる事ありますか?と尋ねた。
「....家は壊すようですか?」
大丈夫です!
「良かった!!」

「ん?!もしかして!」瓦礫を押しのけると、
通帳や現金が出てきた!お母さんに手渡すと、ものすごい喜んでくれた。
ここも翌日にはボランティアが入り、中もきれいになっていた!

命からがら逃げた方々
何も持っていないのです
当然お金も・・
行方知らずの募金より
生きた金が大事!
お母さん!
みんな応援してるから
頑張って!
また、最も多かったニーズが「床板ハガシ」
床下にたまったヘドロを掻き出すために、フロア板や根太をはがします。

中々素人には
出来ません
ボランティアさんが泥を掻き出しやすくするため、
住宅知識のある我々でハガシます。



この状態を各物件に作っていきます。

そして台風のごとく
ボランティアさん達が一生懸命に、あっという間にきれいにして行きます。
子供やお年寄りへ心のケアも行われていました。

歌で励ましていました
地殻変動で陸地沈下、満潮時海になってしまう所も。

行く手に大きなフェリーも座礁

滞在期間は正直ものすごく疲れましたが、数えきれないほどの経験と感動。

依頼者宅にて
津波に流されたお二人
助かって何よりです!
お孫さんの
アルバムを手に
全国から沢山の人たちが助け合っていた。
フェリーの中で学生達のボランティアも島へ向かっていた。

各地から様々な人たちが活動されていました。
カモメ達も海が怖くなったようで、人のいるボランティアセンター近くにいつもいました。
自然の生き物たちも寂しいのでしょうね。

海から離れた所に
避難
被災地では鳥も人間も、何もかも皆が必死でした。

捜索隊
・・・
あれから一年。
目の前の惨状は、だいぶ消えて行きましたが、
この時代に生きる私達は、あの日の出来事は一生忘れないでしょう。
いざと言う時、行動力があれば、人間は簡単には死にません!

横綱と岬
松は大分
折れてしまったが
立派に立っていた
この横綱のように、毅然と海に立ち向かい、負けないのが日本人!
日本は復活すると信じています。
黙禱・・・
Posted by mataza at 20:18│Comments(2)
│被災地支援プロジェクト
この記事へのコメント
流石プロですね(´▽`)
去年を振り返ると、僕は何か役に立てたかわかんないです(x_x)
色々な分野で支え合って早く復興できると良いです(>_<)
去年を振り返ると、僕は何か役に立てたかわかんないです(x_x)
色々な分野で支え合って早く復興できると良いです(>_<)
Posted by 164 at 2012年03月11日 21:26
★164さん
あなた方の活躍
現地の人たちは非常に感謝していましたよ!
まさに戦場そのものの場所もありました。
地獄のような現場でも、
ふと気が付いた時、近くに自衛隊員がいるだけで安心しました(涙)
164くん!これからもがんばってください!!
あなた方の活躍
現地の人たちは非常に感謝していましたよ!
まさに戦場そのものの場所もありました。
地獄のような現場でも、
ふと気が付いた時、近くに自衛隊員がいるだけで安心しました(涙)
164くん!これからもがんばってください!!
Posted by mataza
at 2012年03月11日 21:35

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